組織に属することについて
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研究のためフランスに滞在してからちょうど1ヶ月経つ。 海外で暮らしたことがない自分にとって3ヶ月という期間はとても長く思っていたが、実際に過ごしてみると本当に一瞬で時間が過ぎ去っていく。 「暮らした」という実感を得るには最低でも半年は必要であるように感じる。 それだけ充実した時間を過ごせているということだと思う。 フランス滞在における出来事や成果、考え事についてはまた機会を改めて書きたいと思っている。
日本を離れて暮らすことにはいろいろな副産物がある。 例えば、所属組織の束縛から一時的に離れることで、より客観的に自身を取り巻いていた状況を俯瞰できるようになる。 ふと思い立ったので、忘れないうちにこれについて考えたことをメモ書き程度に残しておく。
原則として、組織や団体に属することは、自分以外の何者かが定めた目標に向かってことを進めていくことに他ならない。 特に給与のような分かりやすいインセンティブが無い場合には、その目標に多かれ少なかれ共感できることが不可欠である。 共感できたとしても、自身が受け持つことのできる負担を超えてしまうと、組織に属することへの苦痛が勝ってしまい、持続することが難しくなる。 自分自身は幸運にも深刻な状況には陥っていないものの、原則としてある「自分以外の何者かが定めた目標に向かうこと」そのものに対してはモヤモヤを感じることがある。 なんでも自分で決めたがる性格が良くも悪くも作用しているのだと思う。
研究者という立場は、大学という組織には属していながらも、他でもない自分が定めた目標に向かってことを成せば良いという意味で、稀有な立場である。 しかしそれでも仕事をうまくコントロールしないと、気付かぬうちに他人の目標にコミットし過ぎてしまうことがある。 なにもそれが嫌なわけではなく、自分はむしろ長い目ではそのような活動に自分の時間を使いたいと思っている。 しかし、海外で自身を改めて俯瞰してみたときに、今の今まで「自身の目標に向けて動く」という基本原則を十分にこなせていなかったのではないかという実感を得た。 これは博士課程の学生としては致命的なことではなかろうか1。 少なくとも海外にいる3ヶ月は自分自身のことに集中し、多角的に良い成果を持ち帰られるよう努めたいと思う。
すなわち、熱波で30度を超えているのにクーラーが無いという凄まじい環境で集中できないからといって、謎のブログの執筆に逃げるのではなく、研究の手を動かそう、ということである。 ブログの執筆ができたということは、研究も普通にできるはずである。 良かった〜。
この気づきへの反動として、一度全てから逃げ出して田舎で1-2年くらい隠居したい気持ちにさえなっているのだが、多分もうちょっと冷静になった方が良い。 ↩
