米研ぎ

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お米を研ぐときのことを考えてみよう。 まず第一に、米を水で満たしてすぐに捨てる。 乾いた米には水がすぐに染み込んでしまうため綺麗な水を使うこと、 米についた糠の匂いが米に吸収されてしまうことを防ぐためすぐに捨てること。 この2点が肝要である。 以降の手順でも共通のことではあるが、ここで全ての水を捨てることはできない。 さすれば全ての米が流しに捨てられてしまうためである。 そのため、以下の手順は微妙に水が残った状態で行う。 力を入れ過ぎずにシャカシャカと混ぜるような仕草で米を研ぐ。 ここで力を入れ過ぎると米が割れてしまうので注意する。 ある程度できたら水を加え、濁り度合いを見る。 初回は糠が大量に出るから当然真っ白である。 水を捨てて、研ぐ手順をもう一度。 半透明になるぐらいまで作業を繰り返す。 完全に透明になるまで研いではいけない。 米の栄養や美味しさまで落ちてしまうためである。

と、ここでふと気がついたのだが、もしかして研ぐ手順は一回で済むのではないだろうか? 米を研ぐ際にシャカシャカした合計回数の統計を取り、毎回その回数の平均値(ないし中央値)だけやって水を加えて捨てる作業をすれば一回で済むはずであるし、別段問題も無いように思われる。 いちいち水を入れ替える作業が省かれるので時間的節約にもなるし、回数を固定することで研ぎにぶれも無くなって味が決まるという利点もある。 ただし、何合炊くかによってシャカシャカ回数Sが変わってくることには注意が必要である。 体感だとなんとなく線形にはならない気がしており、2合研ぐのにかかるSは1合の2倍以上であるように思われる。 実行に移すならばそれも含めて検証が必要である。 一人暮らしであれば大抵1合、1.5合、2合あたりを抑えておけば良い。

はい。 面倒なのでそんなことはしません。 今まで通り、透明度を確認しながら何度か米を研いでいきたいと思います。 一体なぜ? 検証を繰り返して研ぐ回数を定めさえすれば、あとは楽ができることが見えているのに。 コストをかけて機械化することで自身の労働を解放できるのに。 理由は簡単で、普段の作業にそれほど煩わしさを感じていないからである。 米を2-3回研ぎ直すぐらいのことを改善したいとは思わない。 それはそのままあっても良い程度の無駄である。 洗濯機が洗濯板を代替することによって生まれる効果を考えれば屁でも無い。 大体、そこを効率化したければ無洗米を買えば良い話である。 まさにコストをかけて楽をするわけだ。

とはいえこういう思考実験はそれそのものとして面白いものだ。 くだらないことでも自由に考える時間は大切だと思ったので、これをもって博士課程入学初日の記録とさせていただく。