太陽の塔を見に行った

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岡本太郎は真っすぐで情熱的な人だな、と思います。 彼は自分の信念を貫き通し、それを芸術作品という形で表現し続けてきました。 会社員だった頃に彼の自伝を読み、芸術家としての(もっと言えば人間としての)矜持に感銘を受けたことを覚えています。 彼の言葉は、自分が会社をやめて大学で研究員として働くという決断の後押しをしてくれました。

彼の作品を見に川崎市の岡本太郎美術館へ行ったことがあります。 素晴らしい作品ばかりで、モニュメントのような大きな作品に関してはレプリカが飾られていました。 いつか代表作『太陽の塔』を見に行きたいと思っていました。 先日たまたま機会があり、大阪の万博記念公園にある『太陽の塔』を見ることができました。

大阪モノレールで万博記念公園駅へ向かい、公園に向けてやや回り道を強制させられる道中で『太陽の塔』の上部がすでに見えていました。 想像以上に大きい姿を尻目に、関西クオリティの凄まじく安い入場料に驚きながらゲートを潜ると、すぐにその全貌が見えました。 それまでは雑木林によって下部が隠れていたのですが、いざ全体像を目の当たりにするとさらに大きく感じられました。 何にも似ていないのにやけに説得力のあるその姿に全身が衝撃を受けました。 芸術品と言えばつい細部までじっくり見てみたくなるものですが、『太陽の塔』にはそのような考えを浮かべる余裕を与えないほどの圧倒的存在感がありました。

万博記念公園をあとにしてゆっくりと考えを進めました。 あれはなんだったのだろうか? 芸術品というよりは、イースター島のモアイ像よろしくまるで太古の昔からそこに存在していたかのような物体に見えました。 岡本太郎と言えば縄文文化からの影響が非常に強いことが知られていますが、『太陽の塔』も例に漏れないのではないかと思います。 ふと、縄文時代から現代までの時間差をそのまま未来に伸ばすことを空想しました。 それは今から一万年後というスケールの時代です。 西暦1XXXX年、加熱し切った地球には巨大植物が生い茂り、『太陽の塔』は今や未開となった地の深い森の奥にひっそりと佇んでいるかもしれない。 そこで未来人は『太陽の塔』を発見し、我々が縄文土器を見たときと同じようなことを感じるのではないか。 もちろん大きさはまるで違うが、「何か未知の凄まじいものを発見した」という感覚に陥るのではないか。

この作品を見てふと再び岡本太郎のことが気になり直し今一度調べたところ、『太陽の塔』は万博のテーマである「調和」に対抗する意図を持って創られたものだそうです。 インタビューの中で彼は「弁証法的」という言葉を使っています。 彼は「調和」と「非調和」をぶつけて戦わせ、それによって弁証法的に生まれるものを見たかったのではないかと思います。 それによってどのようなジンテーゼが提示されるのか? 自分には明確な答えがありません。 そもそも答えなんかなくて、実は記号の概念を超えた存在かもしれない、、、などと思うのは逃げだろうか?

岡本太郎にとって芸術とは人生であり、闘いであると言います。 生きていると、矛盾と闘わねばならない場面はとても沢山あります。 むしろそれが生きることの本質なのではないかとすら思います。 矛盾との戦いは人類普遍的なものであり、『太陽の塔』はそれを象徴しているからこそ心に残るのではないか、と思いました。